■卒業生からの手紙:大阪編集教室

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梶谷友美  大阪編集教室に通い始めた頃、一番感銘を覚えたのは先生たちの「プロ意識」です。文章をひとつひとつ丁寧に分析し、最もいい形を追求していく……。ただ好きなように文章を書いていた私には、先生たちの厳しい授業は大きな衝撃でした。つまらない自分のプライドを捨てて、一から文章に向かい合う。それはとてもつらいことでしたが、かけがえのない経験でした。
 授業で学んだことが、今も私の中で生きているのを時々感じます。仕事をもらうたびに「こんな表現をしたらあの先生に怒られる!」「これは褒めてもらえそう」と考えながら言葉を選んだり……。これから学ぶ皆さんも、一生モノの知識と技術を、ぜひ自分から食らいつくくらいの覚悟で身につけてください。
(株式会社関西マガジン放送局クリエイティブディレクター)
藤田大輔  漠然とやりたいことはあるけれども、何から始めたららいいのかわからない。なんとなく見つけたのが「大阪編集教室」でした。「個」を大切にしてくれ、表現したいことを尊重してくれながらも基本はしっかり。授業後はお決まりのように飲みに行っては夢なんか語ったりと居心地のいい環境でした。いろんな課題の発表や意見の交換をしているうちに自分のやりたいことが輪郭を持ってはっきりとしてきました。現在は教室に紹介してもらった編集プロダクションに勤めていますが、なによりタメになっているのはそこで出会った仲間たちと講師方のモチベーションの高さ、そして遊び心の豊かさです。ときおり耳にする広告・出版業界での仲間たちの活躍にいつもやる気をもらっています。ここは今でも刺激的なスタート地点です。(株式会社ビコーシステム編集部で旅の雑誌・ガイドブックの取材・編集・ライティングを担当)
辻本裕子  昔は「ほんやさんになる」と思っていたものの、成長した私は本と関係のない仕事を選びました。「出版社はほとんど東京やし、狭き門やし……」と弱気だったのです。
「本の仕事をしたい!」という強い衝動に駆られたのは就職2年後、大阪編集教室を知ったのもそのときでした。決心して会社を辞め、アルバイトをしつつ編集コースに通いました。雑誌の企画に悩み、自分で書いた記事を緊張しながら発表し、初めて知る編集の世界に感動を覚え……。1年はすぐに過ぎてしまいました。
 現在は医療関係の雑誌を編集しています。この道へ踏み出すことができたのは、この教室に出会えたからこそです。
(株式会社メディカ出版編集部)
木本コウユウ  この知らない世界に飛び込んだのは35歳の時でした。文章や編集などの勉強をして本当に身につくのだろうか。毎週顔を合わせるクラスにとけ込めるのだろうか。ですが、そのような心配事はあっさりと消えました。講師の方々の文章や出版、誌面に対する熱心さに圧倒され感銘を受けました。熱心さを真似ていくうちに、自分の中でそれは楽しさへと変わっていきました。そして『花ぎれ』制作にかかわると、クラスのみんなとも打ち解けて、それ以上の仲間となっていきました。そんな熱心さと同居していたのは楽しいことでした。授業帰りに受講生同士、時には講師の方々とも有意義な時間を過ごせました。そして今なおその関係は続いています。この教室では学ぶことができました。学ぶことの楽しさを。それは文章の世界と、人とのつながりでした。(プランナー&ライター)
岩橋寛幸

 私はライターの中でもゲーム、アニメといったエンターテイメント系のライターにどうしてもなりたい、それしか見えないといった感じでライターの勉強をしていました。
 そこで私が行なっていたのはとにかく情報収集です。リクナビやマイナビなどの大手就職サイトに登録するのはもちろん、JOBエンタなどのゲーム、アニメ系専門就職サイトなど10個近くに登録。さらに雑誌社やゲームメーカーの公式HPを毎日チェックをして求人情報を確認していました。
 そのおかげで今の会社のライター募集要項をみつけ、無事ライターとして入社することができました。そして今はまだまだ実力不足にもかかわらず、ゲームやアニメのニュース記事の執筆に加え、小説やゲームシナリオ、ニュースリリース、メルマガの作成など、文章関係のありとあらゆることを担当しています。滅茶苦茶大変ですが、やりがいだけは死ぬほどあります。
 大阪編集教室はライターになるためのきっちりとした道しるべを与えてくれます。では、どこでライターになれる人となれない人の差がでるのか。それはその人の考え方の違いだと思います。「ライターにでもなりたい」のか「ライターにしかなりたくない」のか。糸は垂れているのです。より多くの人がその糸を掴めることを願っています。
(株式会社サーファーズパラダイスにてライティングを担当)

名田孝之  大阪の教室。だから、関西圏で働く編集者・ライターを養成してくれる印象があります。たとえば、取材の基本の5W1Hですが、この教室で教わるのは5W2Hです。もうひとつの1Hは何かというと、“How much”つまり「なんぼや」です。講師からこのポイントを聞いたときには心にズンときました。ここで徹底的に学んだら即戦力になれるのではとの期待を抱き、真剣に取り組みました。
 この教室の特色のひとつは他コース聴講制度(無料)です。先生たちに聞きますと、今必要とされている人材は「ライターのできる編集者」か「編集のできるライター」とのこと。私はライターコースでしたが、可能なかぎり編集コースも聴講しました。在学中からライターの仕事を紹介してもらいましたが、編集サイドの仕事を知っていることは打ち合わせをするうえでたいへん役に立ちました。卒業後も「作文ゼミ」を通して書くことを教わっています。
(フリーライター)
橋本直樹  大阪編集教室の紹介により出版社で働いています。2年前に11年勤めた電機メーカーを退職し、長年希望していた文章 を書く仕事に就きたいために、大阪編集教室の門を叩きました。
 文章を書く知識から、レイアウトなどの編集技術まで、幅広く学ぶことができ、1年間はあっという間でした。
 後半の半年に、雑誌『花ぎれ』の編集委員になり、年の若い仲間たちとともに 原稿のチェック、レイアウトのチェック、引用資料のチェックなど、遅くまでかかってやったことが今の仕事に結びついています。私は目次担当でしたが、納得のいく作品に仕上がったと今でも思っています。
 ただ、出版社に勤めてみて痛切に感じるのは、いかに売れる本を作るべきかということと、いかに書店への営業ができるかということです。時代性を汲み取る力と自社の書籍がどういいのかを アピールできる能力が必要だと思います。
 とにかく、電機メーカーに勤めていたのでは会えないような人たちと出会える職業なので、辛くてもがんばっていこうと思いながら、編集と校正に明け暮れています。みなさんも良い仕事にめぐり合えるようにがんばってください。
(株式会社遊タイム出版・編集部)
杉山祐一 「自分は一体何がしたいのだろう……?」
 20代はこんな自問がいつも頭の中にあった。
 煮えきらずに仕事を続けていた26歳の夏、「このままではいかん!」と大阪編集教室のパンフレットを取り寄せた。
 入学の動機は単純だった。偶然読んだ本でライターという職業を知り、興味がわいた。とはいえ、書くことが特別好きなわけではなかったし、物書きで食っていく!なんて強い意志も自信もなかった。ただ将来へのとっかかりを見つけたくて僕は教室に駆け込んだ。
 通い始めていちばん大きな変化は、生活に「ハリ」が出たことだ。最初の課題こそ自分の稚拙な文章力に大きくへこんだものの「手に職をつけるための勉強」にだんだんのめりこみ、気づけば授業の日が待ち遠しくなっていた。
 ――運よく、今は雑誌社に潜り込めました。取材に行き写真を撮り、誌面をレイアウトするだけにとどまらず、本の梱包から得意先への配送まで、なにからなにまでやらなくてはなりません。でも、仕事がかたちとなり多くの人の目に触れることにやりがいを感じています。また、教室ではたくさんの友人もできました。お互い刺激し合えるいい関係が卒業後もずっと続いています。あのとき、悶々と悩んでいるのをやめ、行動に移して本当によかったと思っています。
(株式会社岳洋社で『関西のつり』『ソルトウォーターゲームフィッシングマガジン』の取材、編集などを担当)
今 麻美 校正・レイアウト・記事の書き方・企画の立て方……、大阪編集教室で教わることはたくさん。もちろん技術もありますが、目的意識や働くための心構えもありました。課題をこなしながら自問自答の繰り返し。何を見、何を考え、何を想うのか。そして、それらをいかに文章に込めるのか、写真に写し出すのか。大変だけどおもしろい“自分と向き合う時間”があったから、いまプロとして仕事を頑張れるのだと思っています。書くことを生きることとして、これからも歩んでいきたい。いまはその想いでいっぱいです。(株式会社ビコーシステムで旅のガイドブックや雑誌の編集・ライティングを担当)
塩屋 薫 教室のインタビュー課題を書くために、勇気を出して「お話を聞かせてください」と初対面の人に声をかけたことは今でも忘れられません。あの一瞬から、取材のおもしろさを知り、もっと自分の知らない世界で生きている人の話を聞きたいと思うようになりました。
 ライターとして働き始め、いちばん強く感じていることは「文章は自分だけのものではない」ということ。初めて書いた記事は、京都の紅葉の名所についてでしたが、お寺の方や編集者、先輩ライターに何度も文章を見てもらい、作業は明け方まで続きました。完成した本を見た時、最初に書いた文とはかなり違うものになっていましたが、いろんな人の思いがつまっているように感じました。「自分が何を書きたいか」ではなく、「相手に何を伝えたいのか」という気持ちで、本は作られていくものだと思います。
 取材で、素敵な人、おいしい食べ物、美しい景色に出あうたびに、自分の文章力のなさに気づかされる毎日ですが、そんな時は、教室のことを思い出します。ドキドキしながら自分の作品を発表したこと、帰り道に大阪城公園の夕焼けがきれいだったこと、みんなで終電ぎりぎりまで語りあったこと。そんなことをひとつひとつ思い出しながら、また明日からも「書く」ことに、真剣に向かい合っていきたいと思っています。
(株式会社キーウエストで『関西ウォーカー』などの情報誌を中心にグルメ、イベント、スポットなどの取材・ライティングを担当)
藤原武志 現在は編集、取材、ライティング、レイアウトなど、雑誌づくりにかかわるさまざまな仕事をしています。お笑い芸人をやめ、でも人を楽しませる仕事はやめたくないと入学した大阪編集教室で、編集やライティングの奥深さや魅力を知り、今の仕事に就きました。おもしろいものを創ろうと脳味噌をしぼり、できない自分を呪いながらも、おもしろい毎日を過ごしています。(株式会社プラネットジアース編集部)
相原真紀 「取材と称して、食べ歩きができるかも」といった浅はかな考えからライターへの転職を考えた私。ライターの仕事を始めて1年半が経ち、確かにそれは実現しました。でも、そんなおいしい取材ばかりであるはずがありません(まぁ、ちょっと考えればわかることなのですが)。炎天下での体を張った取材や、取材前の基礎知識を得るため、何冊もの文献を熟読しなければならないものまで、さまざまです。
 特に苦労していることは“写真撮影”。よほど難しいもの以外は、すべて自分で撮ります。文章に合っていなかったり構図が悪かったりで、最初は何度も悔しい思いをしました。たとえカメラマンが同行のときも、どういうイメージで撮って欲しいかを的確に伝えなければなりません。現在、まだまだ勉強中というところ。
 今の会社は、企画からレイアウトまで関わることができるという点で、まさに希望どおりの仕事といえます。編集教室では、“公に出される活字の影響力と怖さ”について嫌というほど叩き込まれましたので、今のところ取り返しがつかない失敗はありません(なんとかごまかせる範囲のものは多数あり)。それでも一面特集を担当したときなど、刷り上った紙面に目を通すのがいまだに怖い、“へなちょこライター”です。
 これからも初心を忘れることなく、楽しみながらやっていくつもりです。自分で選んだこの仕事、楽しまないと転職した甲斐がありませんから……。
(高松リビング新聞社で取材・編集・ライティングを担当)
近藤めぐみ 大学4回生の6月。卒業後、大阪編集教室に通うと決めました。就職活動からいっさい手を引いて。夢への誇らしさと不安が交じって微妙な気分でした。通い出すと、したいことを勉強できる喜びと同じ目的意識をもつ仲間で自分の世界がいっぱいになりました。それはとても幸せで刺激的なこと。無いと思うとゾッとしてしまうほどに。
そう思うのはきっと、夢が現実になったから。今のところの人生最高の選択だったと思っています。
(株式会社リクルートIMC制作一部関西制作課)
宮 伸子 編集教室からの紹介で、現在音楽新聞の編集の仕事をしています。編集・取材・記事作成。レイアウトに校正・原稿依頼。はては営業や広告主との交渉まで。ひとつの新聞を制作する、ありとあらゆる工程に携わる今の仕事は、とてもバラエティに富んでいます。
自分から「やりたい!」と手をあげれば、どんどんチャンスと可能性が広がっていく。編集教室は、私に夢を叶える最初のキッカケをくれた場所です。「積極的に」「真剣に」望めば、きっと希望は叶います。
もっと貪欲に、もっと大きく。手応えのある日々は、充実しています。
(関西芸術文化協会で関西音楽新聞の取材・編集・ライティングを担当)
藤本篤美 笑ったぶんだけ身になる仕事に就きました――。
 顔をシワクチャにして笑いあったこと。コピーライター/プランナーという肩書きになって、一番プラスに働いていることです。私の編集教室でできた友達は、下は19歳から上は32歳まで。まさにサラダボール状態<CODE NUM=0236>でした。その、歳の垣根をひょいと越えた友達と、終電近くまで“呑みまくり、笑いまくり”。楽しくて仕方のない日々。けれど心配性の私は「こんなんでイイんかな」と不安に思っていたのも事実です。が、そんな考えは今になってひゅーっ♪と吹き飛びました。
 だってその経験が、良い意味で仕事にぜんぶ反映されているから。まだまだまだ半人前ですが、生涯ずっと、シワクチャ顔のおばあちゃんになっても続けたい仕事だと思っています。
(有限会社ベックでライティング、プラニングを担当)
田中久恵 「文章を書く仕事」を志して教室に入学し、1年後に本当に駆け出しライターになってしまいました。今の仕事を始めて何よりも嬉しかったのは、取材をした家具作家さんに「自分の話したことが、こんな風に記事になるんですね、すごい!」と言ってもらったこと。そのぞくぞくするような感覚を味わってしまっては、早くも書く仕事をやめるなんて出来ないと思います。スタート地点は、やはり編集教室の課題で書いたインタビュー記事でした。読み返してみると、我ながら子供っぽくて青くさい文章です。私の文章テイストは今もってそうですが、編集教室は、そんな素のままの文章を練って、組み直して、読むに耐えうる文章にするための技術を学べるところ。職人としての文章の技を身につけるところです。書く人間の「味」を残しながら、いかに読む人を楽しませる文章にするかということを、優しく教えてくださった先生方、そして同期生たちに、心から感謝しています。(株式会社ヴァンで取材・ライティングを担当)
馬田喜博 編集プロダクションで働き始めてもう半年。実にあっという間でした。やっぱり仕事が楽しいと、生きることが“活きること”になるみたいです。ライターという職業につきたくて、大阪編集教室の門を叩いたのが、今から約1年前。ライティングや編集の勉強ができるのが、すごくうれしくて「この道は外せない」って心から思えました。現在は、仕事で使う名刺の「Writer」っていう肩書きを、「外せない」って心に誓っております。もちろん、肩書きなんてどうでもいいことですけど。とにかく文章を書き続けて、もっと上手になりたいですね。取材を受けてくださった方や、原稿を依頼されたクライアントさんから「やっぱりプロは違いますね」と、ギラギラ目を輝かせて喜んでいただく。ケツの青い僕の当面の目標です。(株式会社陸風社で取材・ライティングを担当)
佐々木雅子 深夜ラジオと手紙を書くことが好きだった私。「投稿が採用される文章のコツを知りたいな……」。そんな思いから編集教室に入学しました。授業では課題提出ごとに講師とクラス仲間から的確な指導と感想を(時には辛口で)受けることが出来て、楽しく充実した1年でした。また、在学中は現役ライターさんとの接点も多く、体験談や仕事内容を伺っているうちに「私もライターになりたいなぁ」という夢が膨らんできました。
 縁あって転職を決め早1カ月。今は情報紙や広報紙を制作しています。初めて取材に出たことやその掲載紙面を手にした時の感激は一生忘れることができないでしょう。無数に飛び交う情報の中で、限られた文字数と時間の中で記事にすることは難しく永遠の課題です。努力あるのみの現状ですが、行き詰った時には初心に戻って、好きなことを職業に出来た喜びを忘れずに進んでいきたいと思います。
(株式会社高速オフセットで取材・編集を担当)
阿部玲子 1年後の自分。同じ席に座り、代わり映えしない仕事に追われる姿がすぐに思い浮かび、ぼんやりした空想はそこで途絶える。事実、翌年には想像に違わぬ日々があり、この繰り返しが永遠に続くのでは……とすら思っていた。入学を決めたのも、当初は惰性的に流れがちな生活の刺激としての意味合いが大きかった。30歳をとうに越え、未経験の分野で働けるとは思っていなかったのだ。そんな私が編集教室での1年を経て、長年勤めた会社をエイッと辞め、現在ライティングを中心にした編集の仕事に携わっている(講師ならびに事務局の方々に多大なる心配とお世話をかけた結果)。レイアウトや企画など、まだまだ不勉強な部分が多く、自分の発想力の無さを呪うこともあるが、アイデアを紡いでカタチにする面白さも同時に感じつつある。編集教室には背中を押してもらった。これからは少しずつ研鑽を積みながら、歩き続けるための方法を模索してゆく。(株式会社ディレクターズカンパニーで編集・ライティングを担当)
沖 知美 「発信をする」現場は、まさに精神修行の滝の中。人と心を交えて仕事をすることは、怖いくらい自由で責任があります。本気で「心」を発信しようとするほど、その厳しさと難しさに直面しています。
 教室から仕事の紹介を受けて、半年。企画、取材、撮影、ライティング、編集……、「ものづくり」のすべてに関わる、贅沢な仕事をさせていただいています。常に出会いや気づきがあり、自分を磨くためにやっているような仕事です。まだ苦しいことばかりですが、これこそが成長痛?  新しい道が開けることがわかっているから、前に進もうと思います。
 教室には、チャンスを与えていただいて本当に感謝しています。先生が、「ハンパな気持ちじゃできないよ」と言ってくれたことを体感している今、ただ楽しい!と課題を書いていた自分を思い出します。今はそれ以上のやりがいと出会いました。過酷だからこそ幸せなこの世界で、多くの仲間と出会うことを楽しみにしています。
(株式会社トランタンネットワーク新聞社で編集・ライティングを担当)
満長和美 ライターとして心がけているのは、真実の言葉で語ることだ。自分で歩いて、自分で見て、自分でさわり、心が鼓動したものだけを、本気の言葉で書いていく。これに尽きると思う。書くことは見つめることだ。書きながら、何をどう伝えるのかを考える。静かに集中して。誠実に書き、誠実に推敲して。するとある瞬間に降ってくるのだ。自分がもっとも伝えかったことが。それまで我慢強く待つ忍耐も必要。言葉が一人で歩きだし雄弁に語りすぎることのないよう、リアルなものだけを書いていこう、とよく実感する。
 大阪編集教室を卒業して、はや一年。挫折と再生の繰り返しの日々だった。ただあの日あの教室で出会った、大きな懐をもった講師陣やあたたかい事務局の方々、仲間たちと過ごした時間があって、今の自分があることを忘れない。時に厳しく、時に心やさしく。自分を見守ってくれる「古里」があることに、心から感謝したいと思う。
(フリーライター。おもに広告コピー、グルメ記事、旅のルポ、社内情報誌など)
大下奈津子 早いもので「大阪編集教室」を卒業し、今の出版社で働き始めてから一年が経とうとしています。「ライター」になるつもりが「編集者」になり、毎日一つの誌面を作るのに頭をぐにゃぐにゃさせています。ただ出版社といっても大企業ではないのでライターの仕事もします。内容は企画から具体的な構成、そして取材先や取材相手を選び、そして実際に取材に行き原稿を書く。その後、自分の構成をもとにデザイナーに誌面を組んでもらいチェック。あとは校正に明け暮れ、あいだに漫画家や代理店に原稿の督促など、最初から最後まで記事につきあう仕事です。版元にいるおかげで雑誌づくりの全部に携わることができますし、すべての決定権がこっちにあるのが醍醐味!といってもうちの会社の出版物、母体は風俗誌です(ファッション誌もありますが)。でもエロスに興味があればどの媒体よりもおもしろい仕事(笑)。さまざまな人とからむので日々得るものがあります。今があるのもこの教室の扉を叩いたのがきっかけ。一生モノの仲間とも出会い、感謝しています。(株式会社WOコーポレーションで編集・ライティングを担当)
山王かおり フリーでライターの仕事を始めて、もう7年目を迎えます。以前は「文章さえ書ければ幸せ」と思っていたところがあったけれど、今は文章を書く前にある「企画」や「取材」などの面白さを感じるようになっています。自分の専門分野をもち、その分野の勉強をすることも続けています。ライターになった当初はどんな仕事でも引き受けていたけれど、今は自分のやりたい仕事を選び、できるだけ専門的な知識を生かせる場を探すようにしています。
 フリーで仕事をするというのは、こんなご時世ですから、精神的には結構大変ですが、「どうしても文章を書きたい」と思って編集教室に入学した、あの頃の気持ちを忘れたくないといつも思います。その気持ちが強くある限り、まだまだ書き続けられるでしょう。
(フリーライター。流通業、旅・観光、学習参考書などの編集・執筆を担当。現在のおもな仕事は流通小売業の会社の社内報制作)
北田万知子 「書く仕事がしたい」そう思い立って2年。技術も人脈も何もなかった私が、たった2年で本当に書く仕事に就いた。あの時本屋で編集教室のパンフに出会っていなかったら。あの時の授業で課題を出さなかったら。そう考えると、出会いとタイミングは大切にしなきゃとしみじみ思う。現在はコピーライターとして通販カタログの制作を中心に、取材やインタビューなどさまざまな仕事をしています。ぼんやりと思い描いていた「書く仕事」のイメージは、毎日いい意味でも悪い意味でも裏切られつづけていますが、それもまた結構楽しいものだったりします。書いていて感じるのは、読み手との「距離感」。このバランスがなかなか難しく、少しずつでも自分の感覚でつかめるようになればと思っています。また編集教室は「楽しむこと」が私の原動力であると再確認できた場所でもありました。ここで出会った友だちとは今も一緒に文章を書いたりして、いろいろ活動をしています。やりたいことがあったら、黙っていないで周りの人たちに声をかけておくこと。これが実現の可能性を上げるイチバンの近道ですね。今は実感を持ってそう言えます。(株式会社コピー制作室)
柳沢嗣矢 下調べと構想にたっぷりと時間をかけ、当日は緊張の取材時間を過ごし、終われば地獄のテープ起こしと原稿整理が待っている――同行するカメラマンをついうらやましく思ってしまうインタビューという仕事ですが、多くの芸能人、町の社長さんを取材できることを幸せだと思っています。インタビューは一期一会の真剣勝負。その一瞬に取材対象をどれだけ愛せるか(媚びるのではなく)で、その取材の出来は決まるのだといつも自分にいい聞かせています。(有限会社トールデザインで編集・取材を担当)
丸目悦子 フリーランス=自由な時間に働き、休暇とり放題とイメージされがちだが、実際には時間に追われ、休みもままならない。また、雑誌の廃刊や編プロ・制作会社の倒産が相次ぐ時代、真っ先に切られる弱い立場なのである。私自身、独立4年目にして不況の風を一気に煽り、つねに危機感から逃れられない己の立場を痛感。が、それでも開き直る。感性を磨くやら云々という理屈抜きにして、ただ気分転換のために旅行したり、読書に耽ったり、友人と飲み明かす。不況もなんのその、という気持ちで楽しんでいると、思いがけぬ情報を得たり、新しい言葉に出会ったりと発見することが多々ある。自分が経験したすべての出来事が、なんらかの容で仕事に繋がる――そんな仕事だといっておこう。(フリーライター)
福島恵美 地方紙での記者時代を含むと、ライター歴は10年。フリーになってからは主に旅をテーマに仕事をし、近畿、中国地方へ出掛けて温泉や食などを取材しています。
 最近、地元の京都をあらためて見つめ直そうかなという気持ちになってきました。先月に取材した京都の寺院や老舗で、その魅力を再発見したことと、京都在住者でありながらまだまだ知識不足を実感したからです。ライターの場合、得意分野を持ったほうがいい、というのが私の持論。京都再発見を自分のテーマの1つに加えようと思っています。
(フリーライター)
若林朋子 北國・富山新聞富山本社社会部記者として文教、スポーツなどを担当しています。入社10年目の2002年は、6月に新潟でW杯サッカーのメキシコ・クロアチア戦を取材し、10月はノーベル化学賞受賞が決まった富山市出身の田中耕一さんをインタビューしました。いずれも、地方にいながら世界のトップを垣間見ることができる貴重な経験でした。
 20代は速く、正しく、たくさんの記事を書くように努め、記者としての土台を造ってきたような気がします。30代になると会話をするように自然に文章が浮かぶようになってきました。毎日が面白いです。40代になったら歌うように(というのは読んだ人の心に影響を与えられるように)文章を書くことができたらと思っています。
(富山新聞社報道局社会部記者)
松本けい子 文字の世界には、数学のように明確な答えはありません。どのように表現してもそれは書き手の感じ方であり、個性。しかし、ライターとして働いていると商業用に書く文章にはある種の答えはあるものだな、と感じさせられます。狙い、コンセプト、こうしたものと文章が合致していれば、正解。その答えを「つかむ」ことがプロのライターの仕事であり、最も苦労する作業なのだとつくづく思います。(フリーライター)
吉田智子 大学を出て夢いっぱいで入った会社で、ものの見事に挫折。「ああ、どうしよう……」と悶々としていたある日、朝日新聞の小さな広告で「大阪編集教室」に出会いました。「あ、コレだ!!」とピンときた私は、母に頼み込んで学費を出してもらいました。入学後は、今までの人生の中で一番よく勉強しました。将来への不安を振り払うかのように。やがて教室からご紹介いただいた広告会社に勤めるようになり、(プライベートでは結婚も出産もして)そのうち自分の力を試したくなって会社を立ち上げました。ちょうど30歳の頃です。あれから十何年……。クライアントに恵まれ人に恵まれて今があるのも、あの小さな広告のおかげです。(株式会社オレンジフリー代表取締役、コピーライター/新聞雑誌カタログ等の広告制作)
堂下まみ子 本が売れない――。若者の活字離れ。新刊本の大洪水。封も切らずに返ってくる返品の箱。経費節減。出版不況……。「本」を取り巻く環境は悪くなる一方だ。
 自分の手がけた本がどんな運命をたどるのか。これだけ情報があふれている中で、さらに新しい本を作る意味があるのか。作った本をどうやって売ればよいのか……。考えると前には進めないが、考えざるを得ない状況だ。 「編集が作り、営業が売る」のは、本が売れていた時代のこと。大切なのは「自分が作った本は自分で売る」姿勢。利益だけを考えて本を作るのは寂しいが、売れてこそ作りがいもある。めざすは「書く、作る、売る」人だ。
(京都新聞出版センターで編集を担当)
藤山なおみ 実はいま、後輩に自慢できるほどの仕事はしていないのです……。40歳を目前にして子供を産んで、ようやく仕事を再開したところです。産休で仕事が途絶えてしまうのではないかという不安は大きかったのですが、心配をよそに、フタを開けてみると、理解のある取引先ばかりで、本当に感謝の日々です。取材や出張の少ない仕事をわざわざ選んで発注してくださったり、スケジュールに余裕をいただいたり……、子連れの打ち合わせも名物となりました。そんな昨今、よく思うことは、フリーランスのライター業というものは、人生そのものだな、と。十数年(我ながらびっくり!)のキャリアを振り返ってみると、「書く」という作業は一貫していても、年齢やライフスタイルに合わせて仕事内容はうまい具合にシフトしています。子供が一人や二人生まれたからといって、仕事ができなくなるような職業ではないんですね。子供の寝顔を見ながら、夜中に起きだしてパソコンに向かう日々ですが、一生、ライター業とうまくつきあっていきたいと思っています。(フリーライター)
萩原裕也 DTPの仕事をしています。おもにカタログやパンフレット、新聞広告などのレイアウト、制作をMacを使って行なっています。この仕事を始めて1年少しですが、あっというまに過ぎてしまい、自分がどのくらい成長したかも分からないような毎日です。レイアウトひとつをみても、カタログと新聞広告とでは全く異なるなど、まだまだバタバタとしていますが、奥の深い仕事に魅力を感じて働いています。
 編集やDTPなど何かを作る仕事は想像力や感性といった個性がとても重要なものです。ひとつの物事にとらわれず、幅広い物の見方を養ってください。
(株式会社トーコー制作部
杉本初美 フリーになって5年目。主に交通媒体の情報誌の制作やOL向けのフリーペーパーに寄稿しています。編集者としてはいかにいい企画をたて、鮮度のある情報を紹介できるか、ライターとしてはいかに興味深く読ませる文章を作るかを考えて仕事をしています。どちらもホットな気持ちを忘れず、クールな目でチェックし、より完成度の高い作品を目指していきたいと思っています。(エディター&ライター)
伊藤由佳 フリーになって2年が過ぎました。仕事とは面白いもので、その時の自分に必要な“何か”に出会わせてくれることが多いです。時間に追われて自分を見失いそうになった時はインタビューした人からパワーをもらったり、専門外の仕事を引き受けてみると実は自分のやりたいことに近いものだと気づいたり……。そんな毎日の発見を楽しみながら、これからも自分らしく頑張っていきたいと思っています。(フリーライター)
伊藤理恵 大阪編集教室にお世話になり、フリーランスのメディカルライターとなってからは7年以上がたちます。現在では、季刊、隔月刊の連載が15本を超え、年1回発行のジャーナルの連載を3本ほど抱えている他に、多数の単発の執筆をこなしています。そのために、月の何日かは原稿を書きながら朝を迎え、原稿を書かない日は年に数日という状況が、ここ3年ほど続いています。最近、「私は、何のために、自分は原稿を書き続けているのだろう」と悩むことも少なくありません。原稿を書くことを止めれば、ゆっくり眠れるかもしれません。友達とも遊べるかもしれません。もちろん、子どもともっと対話できたかもしれません。子どもの運動会にも、授業参観にも行けるでしょう。今、私は「自分が書く」ということが何なのかを分からないでいます。それでも原稿を書くことを止められない自分がいることも、自分で自分が理解できません。このような状態にある時、学校の先生から、娘が、「私もママみたいに、ライターになりたい。ママはいつも綺麗で、とても楽しそうに仕事をしているので、ライターになればいつも綺麗に楽しくいられると思うから」という作文を書いていたことを教えてもらいました。私は母親として、娘に何もしていません。ただ、ひたすら原稿を書いていただけです。にもかかわらず、娘はそのような作文を書いていました。自分が書く意味も、また書くことを止められない自分も、自分で理解できない状態にいる私にとり、この娘の作文が心の拠り所になっています。(メディカルライター)
芝崎美世子 さて、私はあいかわらず、あちこちに顔をだしつつ、のんびりバタバタやっています。先月37歳になり、結婚生活も早くも10年を過ぎて、上の息子は小学3年、双子の娘ももうすぐ5歳。編集教室に通っていた頃がついこないだのようですが、確か、あれは12年前なんですよね。
 去年から、専門学校で非常勤講師として、「広告」や「ライティング」を教えたり、あと毎月、連載しているクロスワードパズルの仕事も3年目に入りました。仕事は、広告キャンペーンの企画などが多いですが、やはり趣味と仕事の境目がないみたいで、趣味だか、仕事だか、なんだかよくわかんないことも、結構やっています。「小説講座」を企画したり、イベントを考えたり。今年からは、通信制大学の学生として、本格的に勉強もはじめました。(でもスクーリングとかレポートとかで大変で、なかなかできないんですが)まあ、お金にならないことも多いので、考えてみりゃどれも全部「趣味」みたいなもんですが、楽しくやっております。
 そういや、高校生の時、「新聞部」だった私。当時、一学年に20人近い部員がいた新聞部は、50名ほどの大所帯でした。毎週、週刊新聞を発行していたうえに、年2回雑誌も発行。さらに年1本8ミリ映画も作っており、(映画部や文芸部がなかったので)文化祭の前など、毎日バタバタと手動で輪転機を回していました。他校まで取材に行ったり、イラストを書いたり、小説を連載したり。体育祭には写真部と共同で「報道部」として、夕方までに大急ぎで「速報」壁新聞を作ったり。あれから20年たっても、あまりやっていることが変わらない気がする……。ちなみに母校では、新聞部が廃部になってから10年以上たつそうです。
 コピーライターになって12年。結婚して、子供を3人産んで、まだやっています。育児との両立は確かにハードですが、実力さえあればいつまででも頼りにされる。面白くて楽しい、いい仕事です。
(コピーライター&プランナー)
大阪編集教室

トップ募集要項講師紹介編集コースライターコースDTP講習出版実践講座・作文ゼミアクセス資料請求説明会・見学会